幻葬忌憚
BLACK DREAM
赤い衣を纏った老人は、斯く語る。
「かつて、私と彼は同一の存在であった。言うなれば私が表で、彼が裏。彼は私の影から派生した存在だったのだ」
黒い衣を纏った老人は、斯く語る。
「かつて、我と奴は同一の概念であった。されども私は裏で、奴が表。奴は私の鏡像から顕現した存在だったのだ」
二つの声は水を振るわせるかのように反響し
「だからこそ」
「なればこそ」
「彼は」
「奴は」
「私の対極」
「我の真逆」
「ならば」
「故に」
『アレは、存在してはいけない』
「私は、叶える。その為の概念なのだから」
「我は刈り取る。その為の概念だからだ」
「だからこそ、私は夢幻を守る」
「故にこそ、我は無限に狩る」
「その為なら」
「その為には」
『アレを、喰らう』
そうして。赤衣の翁は寂しげな笑みを浮かべ。黒衣の翁は歪んだ嗤いを浮かべた。
※ ※ ※
「クリスマスっていうのはね? もっとこう、厳粛な行事だと思っていたのよ」
私の呟きに、隣に座っていた、まだ少年と言ってもいい男がどこか遠い目をして囁くような声で云う。
「奇遇だね。僕もそう思っていた所だ。厳粛で、清廉たりて、安寧なれ、かくあれかし。少なくとも、僕の生まれた時はそうだった。それが、どうした事だね。この華々しく、賑やかで、騒々しい様は。時代は変わる物だね。全く、恐ろしいよ」
「年より臭いわね。化け物の分際で何を感慨深げに黄昏ているのかしら、成り損ない?」
私の言葉に少年、
「年より臭いんじゃない、本当に年よりなんだよ。何を今更、という話さ。そうだろ、出来損ない?」
そう云って、彼はどこか寂しげに笑う。所々に銀色の混じった、それでも全体的に見れば濡れた鴉のように美しく輝く黒い髪を揺らし。
憐れむような、憐憫に満ちた悲哀の藍と、悦ぶような、悦楽に満ちた歓喜の碧。
それは、子供を宥めるように酷く優しげで。老人を労わるように酷く儚げで。それでいて老獪な知性と幼い稚性が同居した、歪な瞳。透明なガラスのように、澄んでいながら何の感情も顕していない酷く乾いた瞳。それでいて奥底に秘めた物を見せない、闇よりも尚暗く、昏い瞳。
「・・・・・・・・・っ!」
その姿に、私は思わず息を飲む。
悔しい事に、どこか退廃的な空気を漂わす彼は、とても綺麗だ。だから、私は思わず憎まれ口を叩く。
「そんな事より。私達が今ここにいる理由、ちゃんと覚えているんでしょうね?」
私の言葉に、彼は曖昧で茫洋とした笑みを浮かべて小さく首を振る。
「勿論、理解しているさ。黒いサンタの捕縛、だろ?」
「えぇ、そう。分かっていれば良いのよ」
そう云って頷き、再び私。
キラキラと輝く電飾にまみれ、何処も彼処もクリスマスソングを垂れ流し。目に耳に、痛い事この上ない。そんな街角のベンチで私達が座っている理由。それこそが・・・。
「それにしても・・・ね。都市伝説は数多なれ、まさかブラックサンタが実存するとはねぇ」
黒いサンタクロース。通称ブラックサンタ。
名前だけ聞けば可愛げがあるのだが。その実、サンタの対極に位置する存在であり。
二十四日の深夜にサンタが夢を配ったならば。二十五日の深夜には、黒いサンタが夢を奪いにやってくる。
「夢を奪う、だなんて。なんとも無粋な化け物よね」
「だから、僕達はここにいる」
そう、それ故に。そんな、建て前。
「まぁ、ぶっちゃけた話、私以外の有象無象の下らない夢が奪われた所で構いはしないのだけれど。むしろどんどん奪って欲しいくらいだわ。私の目的を達成する過程に於いて、あんな劣等人種共は必要としていないもの」
私に必要なのは、より純粋に、より強大な。
──────それこそ、世界を崩壊し得る程の力。
私はそれを、人間などという劣等種族に求めてはいない。自分が人間として生まれてきた事すら屈辱なのだから。
故に、怪奇。
数多の童話、神話、寓話において実しやかに語られる都市伝説達。
私は、それが実存のものであると、実在しているのだと知っている。
──────だからこそ。
「夢を奪う怪奇だなんて・・・・・・ふ、うふ、うふふふふふふふふ。何とも素敵な怪異じゃないかしら?」
黒いサンタを、私の側に組み入れる。
何れ私が世界を破壊するその時は。多いに劣等人種共の夢を喰らわせてやろうじゃないか。
「さて。それにしても、よ。一体いつになったら黒いサンタとやらは顕れるのかしら?」
私の呟きに、隣で櫃儀が答える。
「君は辛抱という言葉を知らないのかい? いつ顕れるか、なんて事は
そう・・・そうなのだ。今回の依頼人、黒サンタの捕縛を要請してきたのは、他ならぬ真性のサンタ。曰く、自分の影を捕らえて欲しい、のだそうだ。
まったく、人使いの荒い事だが。仕事の報酬を鑑みれば、それもまた良し。
「さて、さてさて。丑三つ時まではまだ少しばかり時間があるわね。ねぇ、あなたは退屈と云う言葉の意味をご存知?」
「知っているさ、知っているともね。僕という存在は、まさしく退屈の具現化だからね。退屈の極みと言っても過言じゃないよ。故に、僕の人生っていうのは命懸けで命を賭けた、全力全霊の退屈凌ぎさ。如何にして暇を潰すか、それだけさ」
「あらまぁ。つまらない人間なのね」
「いいや、つまらない人生なのさ」
「化け物のくせにね」
「いやはや、まったく」
そんな、軽口の応酬。愉快と云えば愉快。私と彼は正反対で、それ故に馬が合う。私が唯一、手駒ではなく相棒として認めた男。
そうこうしているうちにも、時刻は一時五十五分。後五分で、顕れる。
「く、くふ、ふ、うふ、うふふふふははぁあははははははははははははっ!!!」
あぁ・・・楽しみだ。楽しみで楽しみで仕方がない。楽しみが過ぎて・・・・・・・・・。
「さて、それでは戦争を始めよう。捕縛だなどとは生温い。敵は皆々殺しだ。殲滅を、執行しよう」
私の言葉と同時に、櫃儀がベンチから跳ねるように跳ぶ。と同時に、空気が歪む音。
「くははっ、来た、来たね、来たんだねっ! くは、ははははっ!! 多少のフライングには目を瞑ろうじゃないか。さぁ、殺し合え!」
再び、空気が歪む音。
櫃儀の右腕が疾るように動き、何かが弾かれる音。
そして、気付けば
爛々と輝く深紅の瞳が、こちらを睨み据えている。
「くふ、ふふ。やぁ、あなたが噂の黒サンタ? 早速だけど、あなた。私の手駒になる気はない? 一緒に世界を滅ぼしましょうよ」
「・・・・・・貴様、何だ? 人間の分際で、世界を滅ぼす? ふん、笑えないにも程がありすぎて笑えるな」
「んー・・・失礼だわね。人間の分際で、ってのは認めるけれど。それを私に当て嵌めないで欲しいわね。
宣言しておこうかしら?
私の名前は希罪好芽。
求める物は破壊と滅亡、死と根絶。それを為し得るだけの純粋にして厳然たる強大な力。怪奇より奇怪な人間失格、故に私は出来損ない。
さぁ、もう一度だけ聞くわ。
あなた、私の手駒になる気はない?」
「ふ、ふはははっ!! 面白いっ! 面白いぞ貴様っ! だが、
「あっそ。それなら、今すぐ死に晒せ」
私の言葉を皮切りに、二つの闇が激突する。
「む・・・? 貴様・・・何だ? どこから顕れた?」
私に向かって突進してきた黒サンタを阻んだのは、いつの間にか姿を消し、そしてまた顕れた一人の男。
「やぁ、良い夜だとは思わないか? こんな日は、出来れば惰眠を摂取したかったよ」
「昼間も寝てるのに、夜も寝るのね。いっそ死ねば良いのに」
私の言葉に苦笑を返し、彼は、匣塚櫃儀は。人間に成り損なった怪奇は、這い寄るように疾走する。
「むん?」
気付けば、黒サンタは闇が凝固したかのような漆黒の鎖で拘束されていた。しかし、これで終わる筈もなし。
「ふんっ、猪口才なっ!!」
ブチブチと紐でも千切るかのように軽々と。黒サンタは鎖を引き千切る。
「よもや、な・・・。貴様も怪奇か。怪奇の分際で、何故人と共にいる?」
「自分も怪奇のくせして、その態度はないよね。ちょっとムカッとしちゃうよね。そんな時は僕からも仕返ししよう」
冗談めかした台詞を吐きつつ、櫃儀は右腕を伸ばす。その輪郭が一瞬にして闇に溶け込み、同化する。
「闇と同化、だと・・・? 成程。よもや、貴様・・・・・・」
「吸血鬼、さ。御存知のようで嬉しいね」
云いつつも、左腕、右足、左足、そして胴体から頭へ。
完全に闇の中へと消え去り、ただ声だけが聞こえてくる。
「さて、正直に事実だけを告げるなら、君は僕に勝つ事が出来ない。君の能力がどれほどのものかは知らないけれどね。
だけど、残念な事に僕は拘束を受けていて全力を出す事が出来ない。精々が十パーセント、といった所だ。だから、さ・・・。精々僕を楽しませておくれ」
言い終わると同時に、どこからともなく闇が凝固したようなナイフが飛んでくる。
軽く千本を越えるであろうそのナイフを、しかし黒サンタはどこからか取り出した袋の中に纏めて飲み干していく。
「ふぅん・・・サンタの袋ってのは、出すだけじゃないんだ? 四次元ポケットみたいな? 便利だねぇ」
云いながら、声とは全く逆の方向から二匹の影が飛び出してくる。
「・・・狼、だと? ふん、吸血鬼らしくあれ、という事か」
恐らくは生命を持たないであろう、闇を凝固させただけの紛い物の狼は、それでも深紅の瞳を爛々と輝かせて、黒サンタに飛び掛る。
「ふははっ、面白い、面白いぞ貴様らっ! 貴様ら二人の夢を喰らえば、さぞや美味かろうぞっ!!」
黒サンタも、嬉々として咆哮をあげながら、手にした袋を大きく振るう。袋の中から飛び出したのは、雪のように白い毛並みを持った、二匹の狼のぬいぐるみ。
「目には目を、とな。行け、根こそぎ食い尽くせ!」
言葉と同時に膨れ上がったそのぬいぐるみは、金色の瞳を煌かせ、漆黒の狼に突っ込んでゆく。
「使い魔には使い魔で相対すればよかろう。さて・・・いつまでもこの膠着状態では埒が明かぬ。姿を現したらどうだ?」
黒サンタの言葉に、櫃儀は素直に姿を現す。
先程とは違い、闇を固めたのであろう漆黒のコートを纏い、藍よりも蒼く輝く蒼い瞳と、碧よりも緑に煌く翠の瞳。より強い光を湛えたその歪な瞳が、とても美しいと感じた。
「その瞳・・・・・・魔眼か。吸血鬼の上に魔眼持ちで、あまつさえ闇を使役する? ふ・・・十パーセントでこれか。
貴様、どこまでも化け物だな・・・。怪奇以上に奇怪で、奥底が知れぬ程奥深く、まさしく化け物。故に吸血鬼、か」
「その通り。さぁ、万策尽きたってわけでもないだろう? もっと僕を、延いては好芽を楽しませてくれ」
「良かろう。されど愉悦の代償、貴様の死を持って賄ってくれるわっ!!」
言葉と共に、サンタの姿が掻き消える。
「何処に・・・行った?」
私の言葉に、櫃儀は嗤いながら答える。
「夢の中へ。それがサンタの本分だろう? 僕が闇を司るなら、彼は夢を司る。一つの概念の上に成り立つ怪奇って云うのは、強いんだよ。
それでも、概念の大きさを比べれば、圧倒的に僕の方が上だけどね。神なんてものがいなければ、僕は世界そのものだったんだ。規模が違うよ、規模が。まぁ、神様って云っても所詮は怪奇なんだけどねぇ」
「あんた・・・今日はやけに自信過剰じゃない? それとも、機嫌でも良いの?」
「逆だよ、機嫌が悪いんだ。吸血鬼ってのはキリスト教が嫌いなものだと相場が決まっている。僕もそうだからね」
「あら、そう? 実は私キリスト教なのだけれど」
「嘘だろう? 君が自分以外の何者を信じる筈もない」
「あなたの事は信じているけどね」
「それは光栄だ」
軽口の応酬。その中でも、彼は瞳を輝かせたまま虚空を睨んでいる。そして・・・。
「其処っ!!」
鋭い叫びと共に、右腕を伸ばす。刹那で闇と同化したその輪郭が掴み出したのは、同じく闇に溶けた黒い外套。
「おいおい、何だい、それは。興醒めだよ、興醒め。素直に本分に従っていれば良かったのに、よりにもよって闇を従えようとしたのかい? 相手の領分を犯しちゃあいけないよね。そんなわけで、君にはもう飽きた」
ゾクリとする程、邪気の無い声。言葉通り、ただ飽きたという、結局はそれだけ。それだけで。
「ぐ・・・・・・ふぅ」
グチャリ、と。握り潰される黒衣の翁。滴る血もやはり黒く。同時に、純白の狼も消失し、漆黒の狼は吸血鬼に寄り添うようにして闇に溶け込んでいく。
「結局は、何処まで行っても君は影なんだね。さて、遺言でも聞いておこうか」
「・・・・・・我の死を、我が鏡像へと伝えろ」
「・・・・・・くふ、ふふ、ふははははは、あは、はは、はははははははははははははははははははははははははははっ!!!」
その言葉を待っていた、とでも云うように。私は哄笑を上げる。
「何が・・・おかしい?」
「あなた、気付いていなかったのね。
赤いサンタはあなたの鏡像? 黒いサンタは彼の影? それはあなた達の勘違いってものよ。
ねぇ、あなた。
赤いサンタという概念を知識の中に留めて置くのはいいわ。だけど、現実と幻想を入れ替えるのは頂けないわね。さて、あなた。
実際の所、赤いサンタと正面切って対峙した事があるのかしら?」
「何・・・・・・を?」
「言葉通りの意味よ。
赤いサンタなんてものはあなたの幻想だし、黒いサンタも彼の妄想。あなた達は
まだ分からないなら、陳腐な言葉に置き換えてあげましょうか? あなた達・・・いえ、あなたは只の二重人格よ。ただ、それを自覚してないって、それだけの話。
夢を司るのならば、与えるのも奪うのも自由自在でしょうね」
「・・・・・・・・・・・・よもや、な」
私の言葉が、彼の耳朶から脳内へ。甘い毒のように染み渡っていく。それは絶望という名の甘い毒。
「我は、我を敵として。姿無き敵を追っていたわけか」
「その通り。滑稽よね。無様で、惨めで、どうしようもなく間抜け。だから、あなた。此処で消えちゃっていいわよ」
その言葉を聞いて、何かが抜け落ちたかのような表情を浮かべ。黒衣の翁は、姿を消した。
それが、黒サンタという名の都市伝説。表裏一体の怪奇、サンタクロースの消失だった。
「・・・・・・終わった、わね。依頼は果たしたわよ」
「まったく、君は酷いね。そして間抜けだ。彼を消しちゃったら、報酬が貰えないじゃないか」
「私は精神を壊しただけ。致命傷を与えたのは貴方よ。それに、報酬なら昨日の時点で貰ってある。本当なら、それさえあれば、彼を仲間に引き入れなくても良かったのだけれど」
「ふぅん? 何を貰ったのか、僕はまだ知らないんだけど?」
「ふふ・・・これよ」
そう云って、私は何処からともなく雪のように真っ白な袋を取り出す。
「・・・・・・・・・それ」
「えぇ、四次元ポケットよ。いえ、嘘よ」
「知ってるよ。いや・・・まさか、サンタの袋を貰ってたなんて、ね」
「さて・・・・・・・・・何が入っているのか、楽しみね」
柄にもなくわくわくとしながら、私は袋に手を入れる。だが、しかし。
「・・・・・・・・・・・・何よ、これ」
何も、入っていない。袋の中身は空っぽだ。
「何で何も入っていないのよ」
憮然とする私を見て、櫃儀は面白そうに唇を歪めている。
「何よ、何か言いたい事でもあるの?」
「うん? まぁ、ねぇ。ねぇ、君の夢ってなんだい?」
「決まっているでしょう? 世界の滅亡よ・・・・・・・・・・・・あ」
その言葉で、気付く。
「そう。その袋はね、夢を司るんだ。サンタだったら、皆の夢を引き出せるんだろうけど。人間がその袋に手を入れたって、自分の欲しい物ぐらいしか引き出せない。でも、君の夢は世界の終わりだからね。終わった世界から引き出せるものなんて何もないさ」
「・・・・・・・・・・・・まぁ、いいわ。どうせ、こんなものに頼らなくたって、私は夢を叶えるもの」
吐き捨て、私は袋を投げ捨てる。
「さぁ、仕事も終わったし。帰るわよ、櫃儀」
「はいはい。家に帰ったら暖かいコーヒーでも飲みたいね」
「同感だわ」
そうして。私達のクリスマスが過ぎていく。
※ ※ ※
「・・・全く、強がりだよね。其処が可愛いんだけど」
好芽に聞こえないように呟きつつ、僕は袋を拾い上げる。
「何も出せない、か。袋の中からは何も出せない、ね」
呟きつつ、僕は手の中を。袋があるはずの場所を見る。
「それでも、袋は見えていたんだろう? なら、それが世界の終わりだとしても、夢があるって事さ」
僕には、袋すら見えないから。
「夢、ね・・・・・・僕の夢」
世界が終わるのならば、それもまた良いだろう。何故ならば。
「しっかし、あのじじぃ。僕の正体に気付いてたみたいだったね」
危ない危ない。バラされなくて良かったよ。好芽にでも気付かれたら、それこそ世界が終わる。
「さて・・・・・・・・・」
家に着いたらコーヒーを飲もう。暖かいコーヒーと好芽がいれば、当面は十全だ。