僕は小説家である。名前はまだない。
小説家であるのだから、僕は小説を書かねばならぬ。
しかし、どのような小説を書けばよいのか、とんと分からぬ。
実の所、僕は今までたったの一度も小説などというものを読んだ事がない。
当然、自分で書いた事などあるはずもないのだ。
ならば僕が小説家を名乗るのは可笑しい、と諸君は言うだろうか。
しかし、現に僕は今、小説なるものを書こうとしている。
これが小説家の所業でなくなんだというのか。
ならば、僕は小説家以外の何者でもない。
さて、話がずれてしまったが。
そう、僕は小説を書かねばならぬ。
しかし、その内容がとんと思いつかぬ。
小説とは、果たして如何な内容なのだろうか。
あぁ、こんな事になるのならば今までほんの一冊でも小説を読んでおくのだった。
ちなみに、今のはほんの一冊と本の一冊をかけた洒落である。
などという自らのお茶目な一面を披露しつつ、僕は思考する。
小説がどのようなものかわからぬのならば、いっそ。
小説家そのものを題材にした小説を書いてはどうだろう。
なるほど、我ながらそれは良い考えだ。
そうと決まれば、早速書き始めよう。
そうだな……こんな始め方でいいだろうか。
私は、小説家だ。名前は、まだない。
小説家であるのだから、当然小説を書いている。
ありきたりな、ありふれた娯楽小説。
際立って面白くもないが、底抜けにつまらないわけでもない。
あくまで娯楽小説の域に留まった作品である。
暇潰しには、最適だろう。
退屈凌ぎにも、いいかもしれない。
そう、いたって普通の小説だ。
強いて他の小説との違いをあげるのならば。
そう、この物語の主人公は………。
自分が物語の登場人物の一人に過ぎないと自覚している。
そうして、毎日毎晩。
私に語りかけてくるのだ。
あたかも自分が実在する人物であるかのように。
私と、対話する。
しかし、不思議なものだ。
彼の思考も、台詞も、全て。
それを考え、文字にしているのは私のはずなのだ。
ならば、私は誰と会話をしているのだろう。
そんな私の考えなど気にも留めず。
彼は、今日も語りかけてくる。
俺は、主人公だ。
名前はあるが、ここで自己紹介するのは無意味だろう。
君に必要な知識はったたの一つ。
俺が、とある物語の主人公だ、という事だけ。
そう、ただそれだけだ。
あぁ、もちろん俺に言われなくてもそんな事はわかっているだろう。
なぜなら、俺を書いているのは君なのだから。
そんな事は知っていて当然だろう?
そう、こんな感じでどうだろう。
主人公は小説家。
主人公が書いている小説の主人公は、自らが登場人物だと自覚している。
そうして、主人公に毎日毎晩話しかけるのだ。
うん、我ながら奇抜なアイデアだ。
よし、書き続けよう。
俺は君によって存在を許されているわけだが。
うん? 君だよ、君。
もっとはっきりと自覚した方が良いね。
俺を書いているのは、君なんだ。
不思議がろうと、怖がろうと。
それは、事実なんだよ。
俺は、君によって書かれている。
俺の趣味主義主張、思考嗜好志向。
俺が今語っているこの言葉すらも。
君が、書いているんだ。
それを、自覚して欲しいね。
もしも、それを認められないのならば。
それを不自然な事だと考えるのならば。
そうだな、一つだけ。
方法を、教えてあげよう。
責任を、転嫁するんだ。
確かに、自分は俺という存在を書いているかもしれない。
だが、しかし。
そう。
だが、しかしだよ。
例えば、こう考えるんだ。
自分も、誰かによって書かれている存在なのだ、と。
彼は、私に向かってそんな事を言った。
私も、誰かによって書かれている?
私が、彼を書いているように?
そんな、馬鹿な。
そんな事が、あってたまるか。
だが………しかし。
しかし、だ。
もし、そう考える事が許されるならば。
彼を書いているのは、私ではないという事になる。
より正確に表現するのならば。
彼を書いているのは私だが、その私を書いている人間がいる。
ならば。
彼を書いているのも、結局はその人間だという事だ。
つまり、彼は私に話しかけているのではなく。
私を通して、その人間に話しかけているのだ。
そう、考える事が許されるのならば。
あぁ、それは不自然じゃない。
全然、不自然じゃない。
私が自らの小説の登場人物に話しかけられていると考えるよりも。
よっぽど、自然な考えだ。
ならば、もはや私が語る事はあるまい。
思考を止める事すら許されるだろう。
私は、何も考えなくて良いのだ。
何故ならば。
私自身、誰かによって書かれている物語の登場人物なのだから。
これは、なんだろう。
展開に、ついていけない。
いや、これを書いているのは僕なのだから。
作者が展開についていけないという事もないだろう。
だが、しかし。
これは、おかしい。
狂っている。
この主人公は、自らが物語の主人公であると自覚している?
まさか、そんな馬鹿な。
しかし……しかしそれを言うならば。
この主人公が書いた小説の主人公。
そう、発端は彼ではないのか?
彼は、自らを生み出した人物に語りかけている。
それは、この主人公?
いや、違う。
そもそも、この主人公を書いたのは僕だ。
つまり、彼は。
自らを書いた小説家、を書いた僕に語りかけている?
そんな、馬鹿な。
そんな事が、あってたまるか。
ありえない、こんな事は。
だって、不自然じゃないか。
そう、不自然だ。
自然じゃない。
こんな事が、あってたまるか。
だから、言っただろう?
あぁ、しかし彼は彼女に。
いや、彼女を書いている僕に語り続ける。
不自然を認められないのならば、方法は一つしかないと。
あぁ……そうか……なるほど。
その言葉は、つまり僕に向けられていたわけだ。
は、はは、ははははっ!
なんだ、つまりは、そういう事か。
ならば、もう僕が思い悩む必要はない。
僕は、僅かな思考すらしなくていいんだ。
なぁ、そうだろう?
でも、一つだけ知りたいんだ。
一つだけ教えて欲しい。
あぁ、それは俺も知りたいな。
私にも、知る権利はあるわね。
ねぇ、僕を。
俺を。
私を。
──────書いている君は、一体誰?