〜彼女と過ごす金曜日〜

 

 

「やっほー、奏士くーん、元気っかなぁーー?」

「・・・・・・」

 さて、どうでもいい事なのだが。

「んー? あれあれ? どうしたのさ、元気ないのかなぁ? かなぁ?」

「・・・・・・」

 彼女は、昨日の面影など欠片も残してはおらず。

「んー、少しは反応して欲しいかなぁ、なんて。思うんだけど。あ、もしかして眠いのかなぁ?」

 彼女はなんで。何でこんなに、ハイテンションなんだろうか。

「あ、そっかそっか。あれかな、あれなのかな? 寝てる人の額に肉って書いてもいいですフラグが、今この瞬間に立ったのかな?」

「・・・・・・・・・え?」

 慌てて顔を上げると、彼女はどこから取り出したのか、マジック(油性)のキャップを外し、不適な笑みで僕に近づいてきていた。

「ん・・・あーーー、うん。おはよう、塔子さん」

「あー・・・・・・うん、おはようっ! 奏士くんっ!」

 どこからか舌打ちが聞こえてきたのは・・・・・・まぁ、聞かなかったことにしよう。それにしても、彼女は何で朝からこんなに元気なんだ? 時計がないから分からないけど、今はまだ・・・・・・あぁ。太陽が真上にあるよ。

「塔子さん、今何時?」

 僕が尋ねると、彼女は何故か顔を嬉しそうに綻ばせて、口を開く。

「んー? 今はねぇ、もう三時過ぎなんだよ」

「げ・・・」

 僕は思わず絶句する。と言うことは、昨日、彼女と別れてから悠に十八時間は寝ていたことになる。

「って・・・・・・マヂすか。もしかして、僕が起きるまで待っててくれたのかな?」

 僕が聞くと、彼女は満面の笑みで頷く。

「うんっ。当たり前だよ、私達、友達だもんっ!」

 僕は、その笑顔を見て。まるで、太陽のようだと、そう思った。

 屈託なく、何の打算も、駆け引きも、勘繰りもなく。ただ、僕のためだけに心から投げかけてくれた笑顔を、僕は眩しそうに、目を細めながら眺める。

 すると、彼女はトコトコと僕のところに歩いてきて、ペタンと、僕の隣に腰を下ろす。そして、顔を上げ、空を見上げながら彼女は小さく言った。

「いぃ、天気だねぇ。本当に、いい天気。こんなにいい天気の日は、空を見るのが一番だよ」

 それは、もしかしたら僕に話し掛けていたのかもしれないし、そうではなかったかもしれない。

 独り言だったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。

 しかし、僕は。だから、僕は。それでも、僕は。それ故に。何も言わず、黙って空を見上げた。そこにあるのは青い空。雲一つない、蒼い空。

 

 青く、蒼く、広がっている、空。

 

「あぁ・・・・・・」

 と、彼女は呟く。何かを探すように、空を眺めながら、彼女は憂いに満ちた表情で、それでも僕に微笑みかける。

 その顔はとても可愛らしくて。何かを、僕に求めているようにも見えた。だから、僕は小さな笑みを唇の端に浮かべながら、彼女の頭を優しく撫でる。昨日、彼女が僕の背中を撫でてくれた時の様に。細い、絹のような黒髪を梳きながら、ただ、頭を撫でていた。

「ん・・・・・・・・・ふふふ」

 彼女はくすぐったそうに笑いながらも、気持ち良さそうに目を閉じていた。

 何分経っただろうか。ほんの少ししか経っていないような気もするし、何十分もそうしていたような気もする。ただ、一つ言えるのは。この時、僕は間違いなく幸せだった。きっと、彼女も幸せだっただろうと、そう思うのは傲慢だろうか。

 僕は知らず、優しい笑みを浮かべながら、彼女の事を見詰めていた。彼女も、僕の視線に気付くと、小さく笑いながら、僕の肩に頭を乗せて、僕の体にその体重を預けてきた。予想していたよりもずっと、軽かった。

「こうして・・・誰かとこんな風に過ごせるなんて、考えたことなかったなぁ・・・」

 彼女はそう呟きながら、僕の肩で目を瞑る。それを見て、僕もフェンスに背を預けながら、小さな寝息を立て始めた彼女の顔を見る。

 こうして寝顔を見ると実際よりもかなり年下に見える。というか、幼い。顔立ちも幼いが、何より雰囲気が、だ。

 こうして無防備に寝顔を見せている彼女の事が、堪らなく、愛しく思える。

 

 僕は、彼女の事が好きなのだろうか・・・?

 

 昨日会ったばかりの、可愛らしい少女。

 何の打算も、欲望も、駆け引きもなく、僕に近づいてきた優しい少女。

 大人びた表情や言葉を見せるときもあれば、幼い子供のように無邪気で、無垢で、純粋で、守ってあげたくなるような雰囲気を身に纏った、不思議な少女。

 きっと、僕は彼女の事が好きなのだろう。それはもう、必然のように。

 昨日、一目見た時から、僕は彼女に惹かれていたのだ。

 一目惚れ、か。まさか、自分がこれほどまでに、誰かの事を好きになるなんて思っていなかった。

 僕は隣で眠る彼女の髪を優しく撫でながら、僕自身も目を瞑り、記憶の中に沈んでいく。

 

 

 

 

島島島島島

 

 

 

 

「世界に・・・拒絶?」

 僕の言葉に、彼女は小さく首を傾げて聞き返してくる。僕は頷くと、さっき試した事を語り、聞く。

「僕もよく分からないんだけど。フェンスが握れない、って事は、この世界と相性が合わないから、みたいな事だと思うんだけど」

 僕がそう言うと、彼女は得心したように頷き、口を開く。

「なるほどね。でも、それは少し違うかな。この世界が拒絶するのは、基本的に、本質から相容れないモノだけなんだよ。
 君は、元々はこの世界にいたんだから、本質が相容れない、なんてことはないと思うんだよ。ただ、今もこの世界の住人か、って言ったらそれは違うんだよね。
 簡単に言えば、幽霊って言うのは、境界線の上に立っているんだよ。聞いたことない? この世とあの世の、境界線」

 彼女の言葉に、僕は小さく頷く。それを見た彼女も頷き返し、話を続ける。

「つまりは・・・なんて言うんだろ。気の持ちよう、だよね。
 君はきっと、自分は幽霊だから、きっとこの世界のものには触れない。そういったことを前提にして、フェンスを掴んだんじゃないのかな? それじゃぁ、駄目なんだよ。
 掴めると思って掴めば、きっと大丈夫」

 そう言って、彼女は小さくガッツポーズを取る。それを見て小さく笑いながら、僕はフェンスのほうに向き直る。

「掴めると思って、掴む」

 小さく呟きながら、僕は金網をそっと握る。すると・・・。

「ほら、ね? ちゃんと、掴めたでしょぅ? つまり、そう言う事だよ」

 そう言って、彼女は屈託なく笑う。その笑顔に、僕も笑い返して、ふと疑問に思ったことを聞いてみる。

「そう言えば、さ。僕って、気が付いたらここにいたんだけど。他の所にも行く事ってできるのかな?」

 僕の問いに、彼女は首を振る。

「多分、無理かな。幽霊にも、種類があってね? 君の場合は、自縛霊、だね。聞いたことはない?」

 多少なりとも耳にしたことがあるその単語に、僕は曖昧な顔で頷く。彼女は考え込むように頬に手を当てると、小さく呟く。

「多分、君の場合は、この屋上限定、って所かな? うん。当たらずとも遠からず、って所かな」

 そう言って、彼女は僕の手を取ると、試してみようか? と言って、屋上を歩き回った。屋上の中は、うん。問題ない。

「問題はこの先・・・か」

 そう言って、僕は──────────────────────────。

 

 

 

 

島島島島島

 

 

 

 

「ん、にゅ・・・・・・」

 彼女の寝惚けたような声に、僕は意識を表面に引き摺り出す。

 僕の隣では、彼女が眠そうに目をゴシゴシと擦りながら僕の事を見詰めていた。まだ焦点の定まらない、蕩けたような視線は、徐々に僕の顔を中心に固定していく。そして、ようやく僕の顔を認識したのか、彼女は嬉しそうに笑いながら僕の腕に抱き付いてくる。そんな彼女を見て、改めて僕は思うのだ。

 

 ─────────あぁ、彼女のことが心から好きなのだ、と。