〜カラッポの水曜日〜

 

 

 カタリ、と。音を立てて、僕は席を立つ。

 四時限目の授業も終わり、今から昼休みだ。クラスのみんなは、今からどこで昼食を食べようとか、放課後はどこに遊びに行こうかとか、そんな事を話している。

 僕はそんなクラスメイト達を尻目に、教室を出る。

 一緒に昼食を食べるほど親しい友人のいない僕は、購買部で幾つかのパンと飲み物を適当に見繕って、屋上に上る。ここは僕の数少ない、心落ち着ける場所である。寂れた廃墟にも似た雰囲気を出している屋上に近づこうとする物好きは、僕ぐらいしかいない。

 階段に掛けられた立ち入り禁止のテープを潜り抜け、錆付いた扉の取っ手に手を掛け、金属同士が擦り合う音を立てながら屋上の皹割れた床石を踏み締める。

 この瞬間、僕は素顔の自分に戻ったような、そんな気持ちを覚える。

「・・・・・・ふぅー」

 新鮮な空気を胸一杯に吸い込み、吐き出す。

 ここから見える青い空は、僕が知る中でも一番綺麗な景色だと言っても、過言ではない。

 一度、屋上で一日を過ごしたことがある。その時ここから見た夕焼けは、今でも僕の目にしっかりと焼き付いている。 

「いぃ、天気だねぇ・・・」

 小さく呟き、フェンスに背中を預けて、空を見上げる。青く、蒼く、あおく。悠然と広がった空に、薄っすらと細い雲が掛かっている。

 僕は隣に袋を置くと、中からパンを取り出して、何パンかも確認せず、作業的に袋を破り開けて、パンに齧り付く。途端、咽る。

「がっ、げほっげほっ・・・・・・!? な、何だよ、これ・・・・・・」

 思わず声を出しながら、パンの袋を確認する。そこに書かれていたのは。

 

              『唐辛子百パーセント、激辛カレーパン!!』

 

「唐辛子百パーセント!? もう、それってカレーパンじゃないよなぁ・・・・・・」

 等と呟きながらも、完食。

 あぁーーー、辛い辛い辛い辛い辛い。

 堪らず、買ってきた飲み物の一つを取り出して、一気に喉の奥に流し込み、また咽た。

「か、は、かはっ、げほっ、ごほっ・・・・・・・・・くっ、今度は何だよっ!?」

 叫び、パックの表面をまじまじと凝視する。そこに書かれていたのは。

 

              『青汁配合、健康トマトジュース!!』

 

「青汁配合のトマトジュース・・・?」

 取りあえず、パックを引っくり返し、握り潰す。ドボ、ドボ、ドボドボドボ、と。勢いを付けて出て来た液体は、鮮やかな紫色をしていた。その中には、得体の知れない、赤やら青やらの粒も混じっていた。

「・・・・・・」

 ・教訓:表示されている文字は、よく読みましょう。

 とまぁ、そんなこんなで、僕が買ってきた袋の中に入っていたパン八個のうち、四個が唐辛子百パーセントのカレーパンという悲劇を乗り越えて、すべてのパンを完食。

 ひり付く喉を押さえて、喉に潤いを与えようと、袋の中を漁るが、入っていた五個のパックのうち、四個は青汁百パーセントトマトジュースだった。唯一入っていたまともな飲み物は、オレンジジュースだった。

「・・・・・・・・・」

 無言のまま、三秒で飲み干す。

 あぁーーーーーー、全然収まらねぇっ!! くそっ、唐辛子カレーパン四個は、無茶だったかっ! あぁっ、何か。何かっ、この喉を癒してくれる物はぁっ!

 等と、地面の上で悶え転げること数十分。唐突に、気付く。

「あぁ・・・買いに行きゃいいんじゃん」

 ・・・・・・。てか、何で気付かなかったんだろ。

 衝撃の事実に気付いた頃には、喉の痛みも納まり、なんとなく気まずい空気が漂っていた。

「・・・・・・・・・帰ろっかな」

 なんだか急にやるせない気分になり、そのまま屋上を出・・・ようとした所で、クラスの委員長を務めている少女、朝霧夕佳あさぎりゆうかと遭遇してしまう。

 あぁーーー、ついてねぇ。

 こいつは、クラスの中でも堅物メガネの名で知られる、恐怖政治(語弊)の頂点に君臨する女なのである。

 どれほど怖いかといえば、彼女のせいで登校拒否を起こし掛けた輩が、二、三・・・・・・・・・十人。ちなみに、クラスの人数は、三十四人である。

 無事だったのは、@堅物メガネ本人。

 A学校内でも一、二を争う軽薄軟派男、倉坂深夜くらさかしんや

 B無口、無気力、無表情、無欠席の、四無いだ、という噂で知られる、異端人。神祓魔崩しんばらまほう。てか、それ以前にこいつ、端っから学校来てないしね。

 そして、C僕である。

「あぁーーー・・・・・・・・・や、朝霧さん。本日はお日柄もよく、ご機嫌麗しゅう」

 そう言って軽く手を上げながら、階段を通り抜けようとする。しかし、彼女の脇を通り過ぎた所で、見事に襟首を掴まれる。

「ぐぇっ」

 てか、首、首っ!

 思わず、変な声を出してしまったではないか。僕は締められた首を擦りながら、振り向く。

「・・・何か、用でもあるのかな?」

 僕は、普段人前で見せている仮面を外し、素の態度で尋ねる。

 彼女が、僕の事を嫌っているのを知っているからだ。こういう態度を見せれば、彼女は二、三言小言を言うだけで引き下がってくれると、僕は今までの経験から学んでいる。故に、僕は彼女に対して友好的な態度は見せない。あくまで、冷静に、冷徹に、冷酷に。動揺を見せず、表情を見せず、感情も見せず。

 それが僕の、基本形だ。

「別に用が無いなら、僕は帰るよ? 悪いけど、君に付き合っている暇は無いんだ」

 見事なまでに感情を消した、抑揚の無い声でそう言い放つ。すると彼女は珍しく、いつもは真面目そうに引き締めた表情を歪めて、轟然と言い放つ。

「君、そういう態度止めてもらえないかな? 私は、ただ君に注意しようと思っただけよ? 屋上、立ち入り禁止になってるの。知らないわけ無いわよね?
 それ以外だって、いつもそう。君は、いつも規律を破って、いつも平然とした顔で飄々と澄ましている」

「だから? 君が何を言いたいのか、僕には理解できないね。そんな戯言を言うために僕を引き止めたのなら、僕は帰るよ」

 そう言って、顔を戻すと歩みを進める。

 後ろで彼女がまだ何事かを叫んでいたが、それを無視して僕は教室に辿り着く。席には付かず、鞄を掴むとそのまま教室を出る。

 今日は気分が悪い。授業なんて知ったことか。

 僕は無表情のまま玄関で靴を履き替えると、そのまま外に出る。一瞬、傷付いたような表情で朝霧さんが僕の事を見ていた気もするが・・・。知った事か。

 

 

 

 

島島島島島

 

 

 

 

 さて、学校をサボって町に来てはみたけど・・・・・・どうしようか。

 と、ぼんやりとした表情のまま、歩き続ける。

 無駄に冷たい顔をして見せるのは、正直疲れる。もちろん、基本形が冷たいというのは、嘘だ、うん。昔は本当にあれが基本形だった覚えもあるが、今の僕はそこまで非道な人間ではない。・・・・・・多分。

 何はともあれ、折角学校を抜け出してきたのだ、何か楽しい事でもしようか。うん。

 ・・・・・・・・・楽しい事? ・・・あっれぇ? 楽しい事って、何だ?

「うっわぁ・・・・・・僕、もしかして、つまらない人間なのか?」

 うわぁ・・・・・・ちょっぴり自己嫌悪。なーんてね。つまらないのは僕じゃないさ。そう、つまりね。

「世界が、悪いんだよなぁ」

 退屈な世界。ありきたりの世界。ありふれた世界。平凡な世界。つまらない、この世界。

 僕はこの世界に。人生に、退屈しているのだ。

「面白き事も無き世界を、日々退屈に過ごしております、ってか? ははは、つまんねぇー」

 どこかで聞いたような台詞を呟きながら、僕はぼんやりと空を見る。

 あぁ・・・空は青いなぁ・・・なんて、当たり前のことを思ってみる。

 退屈だなぁ・・・・・・。やることないなぁ・・・。つまらないなぁ・・・。死んじゃおうかなぁ・・・・・・。

「って、いやいや。こんなことで死んじゃ駄目だよ。何言ってるんだよ、僕」

 一人ボケノリツッコミをしてみる。

 ますます自己嫌悪。

「家、帰ろうかなぁ・・・・・・」

 呟きながら、体はすでに家への岐路へと歩み出していた。

 はぁ・・・結局、こうなるのか。ま、分かってたけどね。

 一人で歩く商店街はどこか空虚な空気を孕んでいて。それが何故か、今の僕には丁度良い空気だと、そう思った。

 家に、着く。鞄から取り出した鍵でドアを開け、家に入る。

「ただいまー」

 とりあえず、帰ってきたことを知らせる言葉を、家の中に投げかけてみる。ま、誰も居ないけどね。

 鞄を放り投げるように玄関に置くと、階段を上って自分の部屋に入る。制服も脱がず、ベッドに倒れ込むと、天井の木目を目で追いながら、溜息を吐く。

「疲れた、なぁ・・・・・・疲れたよ」

 生きる事に、疲れた。

「自由に、なりたいなぁ・・・・・・」

 いぃ、天気だ。

「自由に、なりたい」

 空が飛べれば。

「自由に・・・・・・」

 自由に、なれたのに。