〜一人で過ごす水曜日〜
リリリリリッ、と。甲高い音を立てて、目覚し時計が鳴っている。
ガチャリ、と。微かな金属音を響かせて、時計のスイッチを押す。が、しかし。リリリリリッ、と。甲高い音は鳴り止まない。
それが電話の音だ、と気付いた時には、既に五十回を越すコールが響いていた。
相手は、誰だろう・・・?
こんなにしつこく掛けてくるような相手を、僕は知らない。しかし、まぁ。何はともあれ、これ以上待たせるのは悪いだろう。
そう思い、僕は重い体をベッドから起こすと、受話器を手に取る、カチャリ。
「はい・・・黒宮です、けど。どちらさまでしょうか?」
とりあえず、無難な挨拶を返してみる。と言うか、家の電話が鳴ったのなんて、何年振りだろう・・・いや、本当。
そんな事を考えていると、受話器の向こう側の相手は、よく通る声で・・・というか、叫び声で。
「君、黒宮くんっ!? 黒宮よねっ!? 退院したんなら、さっさと学校来なさいよっ! みんな、心配してるんだからねっ!?」
「堅ぶ・・・・・・朝霧さん? どうしたの、こんな朝早くから」
僕は、驚きを隠そうともせず、そう尋ねる。
誰かと、思ったけど・・・・・・まさか、委員長だとは思わなかった。何で、僕の電話番号を知っているんだよ? あ。あぁ、連絡網か。
そう思うのも束の間。堅物で眼鏡ッ娘で委員長で隠れ美人な朝霧さんは、雄叫びを上げる。
「朝早くぅっ!? 何寝ぼけてるのよ、あなたっ! 今何時か、時計見てみなさいよ、ほらっ、今すぐっ、早くっ、即効でっ!」
「時計・・・?」
九時を過ぎていた。完全な遅刻だった。ってか、さっき目覚まし鳴ったばっかりじゃん。・・・あれ? おかしいな。
「おかしいなじゃないわよっ、時計見てもまだちんたらしてるつもりなのっ!? さっさと学校来なさいよっ、あぁ? ぐだぐだとうるせぇんだよ、さっさと来いっつってんだろうが、このウスノロがぁっ!」
訂正。彼女は堅物なんかじゃありませんでした。
ともかく、このままだと罵られ続けるような気がするので、電話を切る。
「ふぅ。んー、あれあれあれぇ? 学校、かぁ・・・そうかそうか。学校なんだよなぁ」
正直、あまり乗り気ではない。いまさら学校に行っても何をしろと言うのだろうか。
いまや、僕の心の拠り所は、彼女のみとなっていた。
そうだ。今日は彼女に会わなくてはならない。会って、全てを聞こう。そう、彼女に会って・・・・・・会って? 何を、聞くんだったっけ? 何を・・・そう、彼女が最後に言っていた言葉の意味とか・・・・・・言、葉・・・? 言葉って、何を・・・・・・・・・・・・・・・・?
────────────彼女は、何て言っていたんだっけ?
「なんで・・・そん、な・・・?」
彼女に関する記憶が、薄れつつあった。
絶対に忘れちゃいけない記憶なのに。絶対に消しちゃいけない記録なのに。彼女との思い出が、想い出が、消えていく。薄くなる。彼女が、僕の中から・・・・・・彼、女・・・? 彼女って・・・誰だ?
「そんな・・・忘れちゃ、いけないのに・・・何で・・・何で何で何でなんでなんでなんで──────」
忘れちゃ、いけないんだ。思い出せ、冷静になれ、僕。記憶を探るのは、得意だろう? 根こそぎ、丸ごと、掘り起こせ。欠片を、繋ぎ合わせろ、絶対に、思い出せる、大丈夫、思い出せる。
「彼、女の・・・・・・名前は・・・・・・・・・・・・・・・・・・塔、子・・・・・・」
そうだ、塔子。館華、塔子。忘れちゃ、いけないんだ。
僕は、脇においてあるテーブルから油性のマジックを取ると、手の平に大きく、彼女の名前を。館華塔子と、書き込む。
そして、何を聞く? 彼女に、何を聞くんだ? これ、は・・・これは、さっき思い出したはずじゃなかったか? ありえない。余りに、早過ぎる。急速過ぎる。急速に、記憶が、薄れ、遠退き、消えて往く。
「彼女に・・・塔子、さんに・・・・・・最後の言葉、の・・・意味、を・・・」
途切れ途切れの記憶の欠片を、断片を拾い集めながら、一つの形に纏め上げていく。
塔子さんが最後になんと言ったのか、その記憶は、どこを探しても見つからない。しかし、最後の言葉と言うキーワードを覚えていれば、大丈夫・・・のはずだ。そして、最後は・・・どこで彼女に会うか・・・・・・だが。
「くそっ、なんでだよっ!」
彼女と、会ったのは。彼女と、幸福な時を過ごしたのは。どこ・・・だった? 思い、出せない。
「なんでだよっ! なんでっ、思い、出せないっ! なんでだよっ、なんで思い出せないんだよっ! 畜生っ、畜生畜生畜生っ!!」
と、その時。
───────リリリリリッ。───────リリリリリッ。───────リリリリリッ。
唐突に、突然に。電話が、甲高い音を立てて。その音が、僕の耳に、頭に、響いて、反響して。
「誰だよっ! こんな時にっ!」
僕は思わず叫びながら、荒々しく電話を取る。
「はいっ、黒宮ですがっ! ご用件は何でしょうかっ!?」
半ば半狂乱で。やけくそ気味に、そう叫ぶ。
しかし、電話の向こうの相手は、静かな、穏やかな声で。詠うように、紡ぐように。
「神祓魔崩、だ。貴様は、館華塔子に、会いたいのだな?」
「神、祓・・・・・・?」
予想もしなかった相手からの電話に、僕は思わず声を無くす。そして、彼が言った言葉を頭の中で反芻し、思わず叫ぶ。
「塔子さんが、どこにいるか、知っているのかっ!? なんでっ、お前がそんな事を・・・いや、そんな事はどうでもいいんだよっ! どこだっ! 塔子さんはっ、どこにいるっ!」
叫ぶ僕に、神祓は静かな声で告げる。
「館華塔子に会いたいのならば、屋上に行くといい。ただ、会えるという保証はないが、な。
もし、そこで館華塔子に会えなかったのならば。職員室に行く事を進めよう。そこで何をするのかは・・・それぐらいは、自分で考えるんだな。これでも、私は貴様に期待しているんだ。アレも、本当なら予想外の出来事だったのだからな。
案外、貴様と館華塔子は似ているのだろうな。いいか、本当に会いたいと思うなら、自分の為すべき事を、自分の心のままに。
────────それが、今出来る、私からの忠告だな」
最後のほうは、神祓が何を言っているのか、全く意味が分からなかった。しかし、重要なのは。彼女との思い出の場所が、屋上だったという。ただ、それだけ。それさえ分かれば。
「感謝する、神祓。それじゃぁっ、な」
そう言って電話を切ろうとする僕の耳に、微かに。僅かに。神祓の声が、流れ込んでくる。
「忘れるなよ? 絶対に」
「忘れないさ」
僕は口の中で小さく、そう呟く。
自分に言い聞かせるように、口の中で転がし、噛み締め、言葉を記憶していく。
「忘れないさ、絶対に」
もう一度呟き、僕はすぐさま着替え、家を飛び出す。
屋上、屋上、学校の、屋上で。塔子さんと、過ごしたのは、屋上。
僕は口の中で呟き続けながら、学校への道程を疾走した。
島島島島島
全力で走りながら、校門を潜り抜ける。途端、上の方から叫び声が降ってくる。
「てめぇっ、黒宮ぁっ! 遅ぇんだよっ! 速攻で来いっつただろぅがっ、何チンタラしてんだよっ、あぁ? おらっ、さっさと、階段上ってぇ、教室入ってぇ、遅れた理由を述べてぇ、土下座しろっ! 今なら顔面に膝叩き込むだけで済ましてやるからさぁっ!」
朝霧さんだった。てか、キャラ変わってない?
少なくとも、僕が知っている朝霧さんは、知的で、堅物で、理知的で、堅物で、冷酷だけど、堅物で、物分りが悪くて、堅物で、口調は穏やかで、堅物で、眼鏡ッ娘な委員長さんだったはずだ。僕が病院で寝ていた・・・らしいこの五日間で、何があったんだろう。って、そんな事はどうでもいいんだよ。
「悪いけど、今すぐには行けないよっ。用事があるんでねっ? 僕だって、色々と忙しいのさ、まぁ、頑張ってくれたまえ、朝霧委員長」
そう叫び返しながら、僕は玄関で靴を投げ捨て、階段を駆け上がり、屋上の扉を開く。錆びた金属音を聞きながら、僕は屋上へと足を踏み入れる。
そこには、期待に反して、誰もいなかった。
「誰も・・・いないな」
小さく呟きながら、フェンスの所まで歩いて行く。
僕と一緒に落ちたフェンスがあったと思われる場所には、黄色いテープが張り巡らされていた。
「・・・ふぅ」
僕は小さく溜息を吐くと、フェンスを背にして、座り込む。そこには、相変わらず。寂しげな空気が、流れていた。
だけど、その空気は。前に僕が好んでいた空気よりも、なお。寂しく、切なく、悲しく、空しく、虚しく。それらを含んだ空気は、僕の胸に圧し掛かる。
「塔、子・・・さん」
僕は、忘れないように、繰り返し、繰り返し、そう呟きながら。
「塔子、さん」
抱えた膝の間に、顔を埋める。
「塔子さん・・・」
もう、ここで塔子さんと何をしたか、どんな事を話したのか、それすらも思い出せない。あるのは、ただ漠然とした、ぼんやりとした、曖昧な、楽しかったと言う、感情だけ。
幸せだった、記憶だけ。幸福な、思い出だけ。
「なんでだろうなぁ・・・」
なんで、僕は。こんなに必死になって、彼女を探そうとしているんだ?
「それ、は・・・」
心の中に、絶対に抱いてはいけない感情が生まれてしまう。
それは、今の僕と比べればあまりに大きな存在で、ともすればすぐに飲み込まれそうになってしまう。
「会いたい、のに・・・」
─────何で、会いたいんだ?
─────本当に、お前はあそこにいて幸せだったのか?
─────死んだという思い込みから、一時的に縋る相手が欲しかったんじゃないか?
─────だが、しかし。お前はもう、生きているんだぞ?
─────他にも、良い女なんて世界にはいっぱいいるじゃないか。
─────覚えていない女の事なんて、忘れてさ。もっと素敵な出会いを求めたって良いんじゃないか?
「確かに・・・・・・そうかもしれないな」
─────だろう? なら、迷うことはないさ。こんなボロい場所、早く出て行こうぜ? ほら、授業に出よう。もう、ここに未練はないだろう?
「そう、なのかな・・・でも、それじゃぁ」
────────────何で、僕は泣いているんだろう?
「何、でっ・・・こんなっ」
胸に穴が空いたように。大事な何かを失くしてしまったように。
そこから、楽しかった、幸せだった、幸福だった、記憶が、思い出が、感情が。流れ出していく。薄れていく。──────消えて、往く。
「何で、こんなに悲しいんだよっ!」
僕は声にならない叫びをあげ、手で顔を覆う。
気付けば、僕は涙を流していた。
止めど無く溢れてくるそれは、拭っても、拭っても、溢れてきて。
僕は、ずっと、ずっと、泣いていた。泣いても、泣いても、悲しみが消えるわけでもなく。
ふと、唐突に。本当に、突然に。思い出す。
「職、員室・・・」
神祓の言葉が、唐突に。頭に浮かび上がる。
「職員室に、行けば・・・」
職員室に行って何をするかは分からないが、それでも。行かなくちゃいけない、そうすれば、何かが分かる。そんな、気がして。
僕は、屋上を立ち去ろうとする。扉を開けかけて、最後に振り返ると、小さく呟く。
「また・・・必ず、来るから。会えたら、良いね・・・塔子さん」
島島島島島
「失礼します」
僕はそう言いながら、職員室の扉を開く。
中に入ると、まだ太陽に照らされて焼ける様に熱かった屋上とは正反対に、冷房が効いていて、涼しいと言うよりは寒いの域にまで達している室内へと、足を踏み込む。
中には、数人の先生と、一匹の子犬しか居なかった。
子犬・・・? 何で職員室に子犬? まぁ、いいか。そんな事より、今は。
「少し、聞きたい事があるんですけど。今、構いませんか?」
僕は一人の教師に近づくと、そう声をかける。先生は小さく頷くと、ニッコリと笑って話しかけてくる。
「構いませんよ。なんですか? 私が答えられる事なら、何でもお答えしますよ」
そう言いながら微笑む目の前の男性教師には、何処か人を安心させる雰囲気があった。まるで、─────のように。
「クッ」
一瞬、チクリと、刺すような痛みが、胸と頭に走る。
軽く眉を顰めて、首を振る。
その痛みが何かは分からないが、何故か酷く、大切な事に思えた。
僕は小さく息を吐くと、目の前の教師に聞く。
「─────という、生徒の事を知りたいんですけど。多分、僕と同じ二年生だと思います」
僕の口から紡がれた言葉は、妙に現実から浮遊していて。自分で聞いた─────というのが誰なのか、何故か分からない。
名前は覚えているのに、それがどんな娘だったのか、思い出せない。とても、大切な娘だったはずなのに。大事な娘だったはずなのに。
「─────・・・?」
教師はその娘の名前を口にすると、小さく眉を潜め、僕に尋ねてくる。
「どうして、君がその名前を知っているんですか?」
「その名前って・・・・・・どういう事ですか?」
唐突に。僕の胸を、不安が過ぎる。
それは、焦燥と、恐怖を取りこんで、僕の胸を覆っていく。そして。教師は、言った。
「その、館華塔子と言う生徒は、転校生だったんですよ。転校してくる前に、事故で亡くなりましたけどね?」
事故で、亡くなった・・・・・・? 塔子さん、が?
そんな馬鹿なっ! そんなはずはないっ! だって・・・・・・・・・だって───────っ!!
「正確には、転校してくる一週間程前に。一度、見学に来たんですよ。
屋上を見学している時、急にフェンスが外れましてね? そこに寄り掛かって夕焼けを見ていた彼女は、そのまま・・・・・・。
その時同伴していた教師が、私なんですよ・・・この事実は、伏せられている筈なんですけどね・・・・・・・・・どこから聞いたんですか? 彼女の名を」
そう言って、教師は口を閉じる。
しかし、僕はその質問に答える事が出来ず。ただ、呆然と、呟く。
「塔子さんが・・・・・・死んだ?」
だって・・・・・・だって、それじゃあ。
僕が知っている彼女は、誰なんだ? 館華塔子が死んだなら・・・彼女はいったい・・・幽霊でも在るまいに・・・幽霊、でも・・・・・・・・・?
「そう、か・・・・・・・・・・・・・・」
僕の呟きに、教師は怪訝そうな顔をする。
しかし、それはもう、僕の目には入らず。ただ、一言、小さく呟きながら。
「失礼・・・・・・しました」
僕は、職員室を出る。その足で、そのまま屋上へと戻る。
再び開ける屋上の扉は、とても重かった。
金属の甲高い音を立てながら、僕は屋上に入り、そのままフェンスの所まで歩いていく。
そして、その場に座り込むと、小さく息を吐いて、空を見上げる。
「いい、天気だな」
僕はそのまま、目を閉じる。
目蓋に浮かぶのは、塔子さんと過ごした幸せな日々。
理解と把握によって得られ、戻って来た記憶。
二度と戻る事は出来ない、幸福な日々の思い出と、想い出。
「死んでたのは、僕じゃなくて・・・」
僕は小さく、呟く。
きっとそこにいるだろう、彼女に語り掛けるように、謡い掛けるように、紡ぎ掛けるように。
「君だったんだね・・・塔子さん」
返事は返って来ないけれど。僕はその時、彼女が答えた声を聞いたような気がして。
そのまま、言葉を紡ぎ続ける。
「君が最後に言っていた言葉の意味が・・・今なら分かる気がするよ・・・」
記憶の中の彼女は。塔子さんは、確かにこう言った。
─────私が、君を引きとめたから・・・・・・─────
それは、つまり。今なら理解できる。
「僕の身体がまだ生きていたから。だから、君は・・・」
「その通りだ。中々どうして頭の回転が速いな。流石はアイツの相棒だっただけの事はある」
僕の耳に流れ込んでくるその声は。目を開かなくても、誰だか分かった。
これでも、記憶力には自信があるのだ。一度見たものはほぼ全て忘れないし、声だって一度聞けば記憶できる。
こんなに静かに喋る奴を、僕は一人しか知らない。つまり。
「神祓・・・・・・」
僕はゆっくりと目を開くと、声がした方向に、目を向ける。
そこには、一人の少年が悠然と、轟然と、寛大に、尊大に、雄大に、ただ、淡々と、煌々と、聳え立っていた。
染めたわけでは無いのだろう。おそらく地毛であろう、陽を受けて煌く髪は、翠色。僕の目を見ている揺らぎのない鋭い瞳は、碧色。
緑に、翠に、碧に輝く二つの瞳が僕を見据え、口を開き、─────言葉を紡ぐ。
「貴様の肉体は、あの時まだ生きていた。しかし、貴様の魂は、肉体を離れ、屋上に留まっていた。いや、引き止められ、惹き止められていたと、言うべきかね。
そのせいで、お前の肉体は綻び、崩れ、滅び、死に絶えつつあった。当然だな。魂が肉体の中に存在していなかったのだから。当然、肉体が滅び逝くに従い、貴様の魂も徐々に壊れて往った。
自覚は、あったのだろう?
貴様の崩壊が顕著になったのは、あの時、館華塔子と誓いを交わした時だ。死人と誓いを交わすという事は、現世を見限ると言う事なのだから。・・・・・・・・・だろう?」
そこで一度口を閉じると、神祓は同意を求める様に、僕の目を見据え、見詰めて来た。
どうでもいいが、始めて会った無欠席男は、噂とは随分違っていた。確かに表情は余り伺えないが、無気力どころか、奴の身体には気力が、生命力が漲っていた。そして、何より、良く喋る。随分と饒舌じゃないか。なんて。どうでもいい事を考えながら。
僕は答えを返す。
「そう・・・なんだろうな。でも、それでも良かったんだ。生きてるか死んでるかなんて、関係無い。こんな世界なんて、見限ったっていいんだよ。
───────────塔子さんと一緒に居られれば・・・それで良かったのに。なんで・・・」
僕の答えに、何故か神祓は満足そうに、初めて笑みを見せ、言う。
「貴様は、本当に館華塔子に会いたいのだな?」
「当たり前じゃ、ないかよ・・・・・・会いたいよ、凄く、会いたい・・・・・・」
僕の言葉に、神祓は頷く。
「そうか。だろうな。その気持ちが、変わらなければ良いのだがな」
「どういう・・・・・・意味だよ」
「いや・・・別に。まぁ、私には関係の無い事だからな。せいぜい、その気持ちを大切にする事だな」
そう言い残して、神祓は屋上を後にする。
後に残ったのは、言い知れない静寂と、僕の掠れた呻き声だけだった。
島島島島島
それから、何時間が経っただろうか。
空は既に薄闇に包まれ、紅い光も徐々に、薄れていた。
もう、涙も枯れてしまった。
きっと、彼女はそこに居るのだろう。幽霊と、して。
僕は彼女を見る事は出来ないし、彼女に話し掛ける事も出来ない。抱き締めたいのに、何も出来ない。それは、彼女にしても同じ事なのだろう。
と、その時。何かが、僕の手をそっと握ったような、そんな感触がした。
何かに触れている感触を持った左手を見るが、そこには何も見えない。僕が怪訝そうに眉を顰めると、今度は肩に何かが乗ったような、そんな感触がした。
そして、その感触は。
「塔子・・・さん」
唐突に、思い出す。
幽霊は、世界に拒絶されたわけではないのだと。世界と世界の境界で、漂っている存在。それが、幽霊。
だから、意思を持って、意志を持って、触ろうと思えば、触れる。
「塔子さん、なんだね?」
僕の言葉に返事を返す物はいなかったけれど。何かが、誰かが、微かに頷くような、そんな気配を、確かに感じた。
だから、僕は。左手に触れた塔子さんの手をそっと握り返し、肩に預けられた彼女の頭を、そっと、そっと、優しく撫でる。
きっと、僕は、もう。
「ずっと、傍に居るから・・・・・・」
僕は小さく呟き、目を閉じる。
意識が、徐々に闇に飲み込まれて行く。眠気を押さえる事が出来ない。
薄闇に包まれた屋上で、生きている僕と、死んでいる彼女は、肩を並べて、ずっと、ずっと。そうして、いつまでも、二人で。きっと、いつまでも、二人で。
変わる事無く、二人で。
二人、で───────────。